いるぼん本室からダダモレした萌えの集積救済所。キムナムギル、成均館、イジェフンネタ多し~。
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劣等感報告書 '建築学概論'...アプソバンマン恨むべきだろうか?
秀作であることに間違いない。 封切り27日ぶりに300万観客を呼んで集めたし、メロ映画の興行新記録を書いていくところだ。 観客らの評も良い。 "一編の映画が愛されることができる最も速くて便利な方法は観客個人の記憶中で私有化されること"と明らかにしたホ・ジウン(映画評論家)の話のように、大衆は<建築学概論>で自分たちの'初恋'を思い出させて映画と物我一体となる。 さらにいくつかのこれらは映画が私の話なのか、私の話が映画で作られたことか区分にならないという。 <建築学概論>批判を簡単に会ってみることができない理由だ。

<建築学概論>は'初恋'と'90年代文化'という二種類のキーワードが核心だ。 映画を囲んだ評価とレビューに唯一'思い出'と'郷愁'という単語がしばしば登場するのもそのためだ。 だが、個人的に<建築学概論>を秀作に選ぶ理由は別にある。 それはまさにスンミンというキャラクターが自身の初恋をあきらめる大きな課題で始まる。

少しの間映画の中の話をしようとするなら、スンミンがソヨンをあきらめることになった理由はソヨンが酒に酔って先輩とともに自炊の部屋に入ったためだ。 その上その先輩は普段ソヨンが憧れた江南に住んでいる。 ペンティアム コンピュータを所有して自動車を連れて歩く先輩に比較すればスンミン自身は贋物Tシャツも着て通う限りなく'チジラン'男に過ぎない。

これを江北と江南と区分するようになる階級的観点で眺める解釈もあるが、それが全部はないとみる。 かえってこの大きい課題に現れるスンミンの根本的な感情は'劣等感'に近い。

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劣等感というのは"自分を人よりできなかったり無価値な人間に下げて評価する感情"を意味する。 先輩より持ったのが限りなく不足したスンミンは自身が先輩よりできなかったり無価値な人だと評価する。 本人自ら。 その現実がとても耐えることができなくてタクシー運転手に是非を論じて合ってまた合うが変わるのは何もない。

結局スンミンができることは、ソヨンを"シャンニョン"と規定することだけだ。 自身が醜いことでなくソヨンが悪いためだと現実をわい曲しながらスンミンは劣等感から抜け出そうと努める。 もちろんかと言って抜け出すことができる劣等感でもないのみならず、現実は何も変わらない。 かえって'初恋の失敗'という一生消されない傷だけ一つ抱いただけだ。

それならまた映画の外に出てきてみよう。 普段私たちが生きていきながら感じる訳のわからない'劣等感'の原因は何だろうか? 分からないことは分からないが映画の中スンミンが感じたその劣等感と大きく異なりはしないことで見る。 なぜなら私たちは私たちの力に変えることはできない現実の壁の前でスンミンが感じた無気力さと劣等感を味わうためだ。

仮定だが、スンミンの先輩がただハンサムで話を上手にするあるいはマナーが良くて歌が上手な、ただ個人の能力で人気を得るキャラクターでだけ描かれたならばこの映画が伝える共感は今より大きく落ちただろう。

その状況でもスンミン自身はなぜ自身はすばらしくないだろうか、歌をできないだろうか、話をよくできないだろうか悩むことができるだろうが恐らくそんなに虚しく初恋を送りはしなかっただろう。 かえって無邪気に歌を歌ったり田舎くささ出るように自身を整える姿がエピソードで編集されながらソヨンとさらに近づく可能性が高い。

したがってスンミンの初恋に共感する男たちの心理には単純に告白一度できなくなってみててんてこ舞したその時期の記憶だけでなく私の意志とは関係ない両親の財力、私が選択したことでない私が住む所、そして私より持ったのが多くの友人や先輩に感じた嫉妬心から始まった'劣等感'が共にすると見ることができる。

そして残忍な話だが2012年を生きていく今でもふとその劣等感を向き合って<建築学概論>により一層共感することだ。

階級上昇の欲望を果たせなかった大多数の人々はより良いところで結婚式を挙げることが出来ない記憶、さらに高い指輪を贈り物与えることができない記憶、そして他の家子供たちのようにさらに高い幼稚園や英語学院に送ることができない現実で時々1996年のスンミンを向き合う。 そうするときは"世の中がXで…"と叫ぶが、結局それはスンミンの"シャンニョン"発言と違うところがない。 劣等感から抜け出そうとする小さい苦闘に過ぎない。

私たちが意識してもあるいは意識しないか、映画の中'アプソバン'はより一層強固だった。 江南3区、江南8学区、外国語高校、特別目的高校、国際中、ソウル大などの名前だけ別にする2012年'アプソバン'は随所に席を占めている。 その上に1996年ソヨンはたとえ半地下一部屋でも'アプソバン'での編入が可能だったが、今はその編入さえ容易ではない。 そのように私たちの劣等感は固定化されてきた。

変わったのが一つあるならば、スンミンはタクシー運転手に合いながらその出てくる感情を押さえ込んだとすれば今日の私たちは誰かに直間接的に暴力を行使することによってその感情を解消するということだ。 そしてその対象は大部分自分自身である可能性が多い。

それで<建築学概論>は初恋に対する報告書と同時に私たちの意志とは関係なしでいつも劣等感に捕われて生きていくほかはない現代人らに向かった慰労のメッセージだ。 <建築学概論>を通じて何かに共感したとすれば、今は私たちの社会の劣等感を克服するために出なければならないという小さい注文が可能になることもそのためだ。

劣等感を勝ち抜くところはそれをありのまま向き合うことから開始だ。 ソヨンを引っ張って部屋に入る先輩に走って行って叫ばなければならない。 先輩より持ったのはなくて不足するがソヨンをたくさん好きだと。 そしてソヨンにも率直に心を話さなければならない。 "シャンニョン"でなくお前を好きだと。

同じようにいつまで"世の中がXだ"とだけ騒ぐのではなく、堂々と叫ばなければならない。 変えたいと。 総選挙は終わったが大統領選挙が残った。 さらに多くの'劣等感'は犬に与えてしまい、チジランスンミンとはさよならと告げよう。 グッバイ! チジランスンミン!

[オーマイニュース 2012-04-19 13:33] 元記事はこちらから

※映画観ながらソヨンでなくスンミンに感情移入する理由はたしかに'劣等感'。初恋を諦め枕を涙で濡らしていたスンミンが15年後チカラの抜けたおじさん(でも働いてるときはむちゃカッコイイオムテウン氏)になってたのは意外と嬉しかったりして(失礼)。

ファッション王再放送を観ながらためてた建築学概論記事をアップする土曜の昼下がり、至福・・・
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