いるぼん本室からダダモレした萌えの集積救済所。キムナムギル、成均館、イジェフンネタ多し~。
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'太陽抱月'、このように似ているとは思わなかった
※終映記事にて基本ネタバレを含みます

大韓民国の女心を盗んだ名品国民ドラマ<太陽を抱いた月>(以下<太陽抱月>)が15日いよいよ終わった。 40%をふわりと越える視聴率と最後の2回欠放まで、長安に多くの話題をばらまいたドラマだっただけに放送が皆終わる前から<太陽抱月>に対する分析と評価があふれた。 地下鉄やバスの中でも三々五々集まって<太陽抱月>を話す姿を難しくなく探してみることができて原作小説はすでに80万部以上売れるほど<太陽抱月>の人気は十分に一つの症候群というに値する。

<太陽抱月>はなぜそのように人気が高かったのだろうか? 硬いストーリー、子役らの驚くべき演技、ひげのない美少年のゆな'美男王'という新しいキャラクター、タイトルロールを引き受けたキム・スヒョンの魅力、派手な色感、歴史から自由なファンタジー史劇など視聴者たちの目を捕まえておく要素を<太陽抱月>はあまねく整えている。 しかしこのように話してしまえば何かちょっと惜しい感がある。 それで私は<太陽抱月>をもう少し詳しく覗いて見ることにした。

<太陽抱月>の最も大きい成功要因の何といっても硬いストーリーと関連があるが、もう少し正確に言ってみれば詳細なストーリーよりはストーリー'構造'の緻密さ、すなわち完成度高い構成力にあるといえる。 <太陽抱月>は基本的にメロドラマなので例えば<善徳女王>のようにあらすじを導いていくストーリー一つ一つが緻密な必要はない。 だが、他のその他のメロ物で見るのは難しい緻密な構成力がメロラインに大きい生命を吹き込んだ。

<太陽抱月>構成の核心は一言で'苛酷な運命'と'違反の緊張感'ということができる。 主人公らの運命が苛酷なほどその中のロマンスはそれに反比例して光ることだ。 苦戦に属する<ロミオとジュリエット>がそうであって映画<タイタニック>も同じだ。 <太陽抱月>では政争の犠牲の羊になった世子嬪ヨヌとその一家の悲劇、その後記憶喪失で最も近くでもフォン(キム・スヒョン扮)を調べてみることができない額受け巫女になる数奇な運命が二つのロマンスをより一層切なくさせた。

特に世子フォンとヨヌ(ハン・ガイン扮)のロマンスはまだ政治や世の中のことを全く分からなかった幼い時期に始まってヨヌの死と共にその時期そのまま化石になってしまったので汚れがつかなかった純粋さがそのまま残っている。 これは悲劇的運命の直接的な原因のユン氏一派の醜悪な謀略と絶妙で鮮明な対応を成し遂げる。

視聴者ひきつけた<太陽抱月>人気秘訣は硬い構成

私は<太陽抱月>を中間から見始めたためにその当時にはなぜフォンが中殿(キム・ミンソ扮)にそんなに反駁するように対するのか、ヨヌに対する恋心がなぜそんなに切ないか100%共感することはできなかった。 その後1回からまた見る機会を持つようになった後には主要人物らのすべての行動と感情線に大きく共感することができた。 これはドラマ序盤、正確には子役俳優が登場した6回までの設定により全体ストーリーの雰囲気と緊張感が完全に変わる可能性があることを意味する。 すなわち、<太陽抱月>ではこの設定と構成が十分に後押しになったので(その上6回までの展開は非常に速度が速い)切ないロマンスが生命を持つことができた。

大部分のメロドラマは初めから見ようが中盤から見ようが大差ない。 しかし<太陽抱月>は途方もない違いが生じる。 中盤からちらほら見ながらこれはただ巫女月の恨みが極に達した話だねと簡単に判断すれば大きい誤算だ。 良い構成の力というものはまさにこういうものだ。 例をあげれば<太陽抱月>の構成と設定をよく分からない状態ではフォンが中殿との併合を拒否する理由が違う史劇と同じように単に中殿に対する恋心がないためだと容易く考えてしまう。

しかし全体構成をよく知っている視聴者たちならばフォンの合房拒否には王子生産時に自身が母方の親戚によってまもなく暗殺されるという現実認識がもう一つの大きい要因として作用したことを理解している。 フォンはそれだけの時間を稼ぐ計算であるからその時までは自身が政敵から暗殺されないことを見抜いて政局を運営する。 中殿に恋心や最小限の同情心があるとしても合房を拒否するほかはないようにこれらの運命が絡まってしまったのだ。

したがってフォンが巫女月を救うために中殿との合房に応じたことは自身の生命を担保にした一種の賭博であったし、そうであるから切なさも倍加された。 また、そのようにヨヌとの軟餌切れることを防ぐために努めたへガクトサの心情も非常に切迫したことを納得することができる。

'あまりにも苛酷で、悲しくない? 科人も、中殿も、お兄さんも、そして、その子供も。' (14回、フォン)

手をベン 中殿の傷に触れたフォンはしくしく泣く中殿を懐に抱いてこのように繰り返して言う。 そのネットを苛酷にからめた運命がまさに<太陽抱月>の原動力だ。

また、苛酷な運命は主人公らの続いた交錯するということと結びついて劇的緊張感がはるかに高まった。 人々は何かが本来の位置に戻ることができなかったり若干外れていればそれを真っすぐ合わせたい衝動を感じる。 箸が若干外れていたり身なりが素早くねじられていれば大部分ほとんど反射的に正しく整理する。 ドラマのストーリーも同じだ。 よじれて外れたのをまっすぐ伸ばしたい視聴者たちのこういう心を利用すればこれらを毎晩TVの前で呼んで集めることができる。

ヨン様熱風を呼んだ<冬のソナタ>朝鮮版<太陽抱月>

韓国映画の陳腐なクルリセになってしまった出生の秘密や記憶喪失、魂の入れ替わりなどはこの違反を活用した代表的な事例だ。 最近人気を呼んだ<チャックペ(出生の秘密)> <シークレット ガーデン(魂の入れ替わり)>、<成均館スキャンダル(男装女)>がそうであったし、近ごろ最高の秀作ということができる<チュノ>では両班(ヤンバン)だったテギルがチュノ屋に転落してその家の奴婢であったオンニョンが両班(ヤンバン)に変身した。 本来の位置に戻ることが出来ない妻の復習劇を描いた<妻の誘惑>も矛盾があたえる緊張感(例えば正体がいつあらわれるか、どのように本来席に帰ろうかと思う気がかりなことと緊張感)を極大化したドラマであった。 乞食の振舞いのイ・モンリョンがいつ"隠密特使出頭が"を叫んで獄中のチュニャンを救うのか期待するようにさせる<春香伝(チュニャンジョン)>道もこの部類に属すると見ることができる。

そのような面で<太陽抱月>はヨン様熱風を呼び起こした<冬のソナタ>の朝鮮版ともすることができる。 だが<冬のソナタ>の、チュンサンの偶然な交通事故(これまた陳腐なクルリセだ)で記憶を失ったことに比較すれば、世子嬪ヨヌが政争のひとりでに死んで生き返りながら記憶を失った<太陽抱月>はどれくらい洗練された違う姿になったのか! それだけ韓国ドラマの水準が非常に高まったといわざるをえない。

ヨヌが記憶を失う前の劇序盤(1~6回)には世子とヨヌの続いた矛盾があった。 幼い世子は幼いヨヌに少しの間だけでも身分を隠したし、幼いヨヌは幼い世子が自身をヨムの妹だと認知したことで少しの間勘違いしたし、また、世子が自分よりユンボキョン(以後の中殿)に心があると勘違いする。 こういう交錯することをぐっとつかんで本来の位置に戻してあげたい心に視聴者は次の方を期待せざるをえない。

ところが<太陽抱月>の矛盾は科しなくてストーリーを必要以上で複雑により合わして捻りはしない。 これは<太陽抱月>が基本的にメロドラマ(それもミニシリーズ)であるためだ。 これと対照的に昨年大人気を呼んだまた他の史劇<根深い木>は矛盾が新しい矛盾を産んでそれがまた杯枝を切り落とす複雑な構造を持った。 作家のパク・サンヨン-キム・ヨンヒョンは以前作の<善徳女王>(そしてキム・ヨンヒョンの<大長今>でも<ソドンヨ>)で見せてくれたようにディテールなストーリーにとてもたけている。 もし<太陽抱月>が<根深い木>のように複雑なストーリー構造を持ったとすればメロの長所を大きく生かすことができなかっただろう。

権力欲だけ持った人ら、2012年大韓民国にもある

このように<太陽抱月>が完成度高い秀作であることに明らかだが惜しい点が全くないことでもない。 メロドラマなので多少ささいな点ではあるが、絶対悪人母方の親戚ユン氏一派の場合、その存在理由が単純な権力欲だけだ。 これは<根深い木>で世宗の対称点にあったチョン・ギジュンとミルボンが前に出した'宰相総裁制'に比較すれば格がしばらく落ちる。 あたかも映画<ダイハード3>であらゆる大層なテロをみな極めたテロリストの目的が結局お金だったことぐらい虚しい。

だが、2012年今の大韓民国(朝鮮でない)を見て回ればそのように単純な権力欲にだけみな固く団結してどんなことでもはばからない執権勢力がかえって最も現実的なキャラクターかも知れない(19回に領議政が陽明に謀逆を提案して原状制(賃金の権限を宰相らと共に共有する制度)を話すことはあった).

これよりさらに惜しい大きな課題は演出だ。 もちろん主演女優のハン・ガインや陽明役のチョン・イルが税収さえまともにできない程殺人的な撮影日程に追われたという点は勘案するべきだが、とにかく全般的に演出の完成度が落ちた点は愛聴者のひとりでこの上なく惜しく感じられる。 特に視聴者の感情を爆発させてくれる決定的な場面を一つも作ることができなかった。 視聴者たちは頬だけ殴ってくれれば夜中わあわあ泣く準備ができているのに本来ドラマには頬を殴る役割をする場面がなかった。

例えばテソク(ウォンビン)がウンソ(ソン・ヘギョ)に"いくらならばなるだろうか? いくらならばなるか?"といった<秋の童話>の三角関係と比較すると、ヨヌに一緒に逃げようと言っただけという陽明の求愛では遺憾でも切ないということが全く感じられない。 やはり空前のヒットを記録した<シークレット ガーデン>は上体を起こす場面やバブルキス場面をお目見えしていわゆる'レジェンド'の隊列に上った。 反面記憶が戻ってきたヨヌに自分自身をプレゼントするイフォンの陰月閣場面は十分に視聴者に対する'背信(!)'とするに値する。 劇全体のすべての葛藤が最高潮に達して一時に解消される19回と20回でも主要人物らの最後が多少きまり悪く描かれた点は残念だった(インターネットには反乱軍とイフォンの対立場面が粗雑さを遠回しに言って陽明の'謙虚な反正'という言葉が飛び交ったりもした).

政党や候補ら、<太陽抱月>成功要因をちょっと習え

こういう物足りなさにもかかわらず<太陽抱月>は史劇の新しい歴史を開いたという評が惜しくない秀作だ。 数多くのケーブル放送と総編チャネル、そしてあらゆるインターネット映像媒体があふれ出る現実で40%をふわりと越える視聴率は驚くべき数値だ。 <太陽抱月>はどのようにして視聴者の心をつかんだ成功的なドラマになったのだろうか、その理由をこのように分析するならば総選挙政局に入ったこの頃各政党や候補らも<太陽抱月>の成功要因を必ず習ったら良いという考えを消すことはできない。

先に、視聴者たち特に女性視聴者たちには<太陽抱月>を'本放死守'しなければならない確実な理由があった。 AGBニールセンが調査したところによれば視聴率41.3%を記録した去る16回分の場合、女性視聴者が65.3%で男性視聴者(34.7%)の2倍近くなった。 イフォン役を担ったキム・スヒョンの力が感じられる大きな課題だ。

良い俳優はそれ自体で視聴者がドラマを選択する最も重要な理由となる。 'プムジョルリョ'ハン・ガインがキム・スヒョンや子役俳優らと比較されて演技論議にまで包まれなかったとすれば男性視聴者比率がもう少し高くなかっただろうか。 選挙も同じだ。 良い候補、魅力的な候補を前に出してこそ有権者は票を与える確実な理由ができる。 だが、現実では与野党を問わず今回の選挙で斬新で'セクシーな'候補が相対的に見られない。

人物も人物だが今各政党らを見ればなぜ有権者が彼らに票を与えなければならないのかその理由を探すことも難しい。 先立って調べたように<太陽抱月>はその緻密な構成のおかげでストーリーの毎局面ごとに必ずそのように流れなければならない、必ずそうしなければならない必然的な理由がある。

野党圏が総選挙で必ず勝たなければならない理由は基本的に政権審判だ。 もし政府与党が去る4年の間国政をよく引っ張ってきたとすれば野党圏の審判論は力を失うだろう。 この場合政府与党は総選挙で必ず勝たなければならない理由で執権期間の間の政治功績を前に出せば良い。 だが、現実は彼と正反対というものは今国民の情緒上常識に属する問題だ。

審判論に対抗して政府与党が取り出した対応カードはまさに理念対決だった。 中国の北脱出者北へ送還問題や韓米FTA,そして済州江亭の村海軍基地が代表的な事例だ。 特に海軍基地建設の場合、中国の離於島領有権主張ニュースとかみ合わさりながら今回の総選挙の最大イシューの中の一つに浮び上がった。 ところで中国が離於島(イオド)領有権を主張したという時点は去る3日で、中国全国人民代表大会代表であり中国国家海洋国長のリュツグイが国営新華通信とのインタビューであった。

だが、当時国内言論ではこの事実が別に報道されないが約一週間が過ぎた後に大きく浮び上がった。 この時点はちょうど江亭の村のクロムビヘアン発破を始めた後反対世論が沸騰した時であった。 この何日間の時差のために政府と保守言論が敏感な外交事案を国内政治に悪用するという疑惑を買うほかはない。 特に海軍基地を反対する人を無条件'左派'に追い詰めて中国の離於島領有権主張と中国の海軍力を結びつけながら安保不安感を増幅させている。

このような左右組み分けは国家全体的には消耗的な理念論争であるだけだが、選挙工学的な面では非常に立派なカードに違いない。 4年間の実情のために政権審判論に対抗して政府与党が総選挙で必ず勝たなければならない理由がなかったが、総選挙構図を左右間の理念対立へ推し進めれば政府与党としても総選挙で必ず勝たなければならないそれなりの理由を提示することができるためだ。

すなわち、自分たちもたくさん間違ったがそれでも国の安保も心配しない'チュァ洗う'らに国を任せることができるかという考えを誘導することだ。 これが保守指向や中道指向の有権者には4年間の実情にもかかわらず、政府与党を必ず選択する理由になることができる。 3月末予定された核安保首脳会議や天安艦2周期も同じ脈絡で活用される可能性が高い。

反面野党圏はこれに対抗して確実に効率的な対応を出来ずにいる実情だ。 今回の総選挙で当然与党少数野党多数になるという展望は韓米FTAと海軍基地イシューが出てきながら少しずつ消えていっている。 その上パク・クネの'親異系虐殺公認'がある程度国民的共感を形成しながら野党圏の審判論に対する期待感を一部パク・クネが先行獲得した効果もある。 これは野党圏が過度に安易に今回の総選挙に臨んだためだ。 野党圏としては'それにもかかわらず'自分たちが選択されなければならない、必ずそうしなければならない理由を提示しなければならない。

これは各地域に出馬した候補らも同じだ。 例えば釜山北江西乙に出馬したムン・ソングンの場合、なぜムン・ソングンが必ず釜山まで降りて行って出馬しなければならないのかその必然的な理由を普通有権者は簡単に理解できない。 ノ・ムヒョンの意をつなぐということはムン・ソングンの主張だけのことだ。 有権者が直観的に理解することはできない論理は反発を呼び起こす。

ムン・ソングンは永らく"とワンノ?(なぜきたか?)"という質問にいちいち解明をして通わなければならなかった。 釜山出身として解釈してみようとするならこれは質問でなく一次的な拒否感の表示だ。 地域住民たちの立場では'ソウルの有名人が自身の有名税とノ・ムヒョンを背に負って立身してみようと私たちを利用するのではないだろうか'という一次的な疑惑を持つほかはない。 政治的主張と行為に必ずそうでなければならない理由が不足すれば、一応煩わしくなり、結局には国民の心をつかみにくい。

<太陽抱月>のイフォンが話したように、政治欄万物が本来の位置に戻るようにすることだ。 今の韓国は本来の席にあることがあまりない局面だ。 真実を暴露した人が苦難に会って罪を犯した人がかえって大きい大声を張り上げながら権力の座を守っている。 犯罪を捜査しなければならない検察は権力核心部と結託して証拠隠滅という犯罪行為まで日常行う。 去る4年間実情を日常行った、国会絶対過半の政府与党が総選挙で'野党圏審判'という前代未聞のスローガンを持ち出したのもこのように本末が転倒された世相ではなかったとすれば想像できないことだ。

"奏上がこのようにして得られることが何ですか?"

"塗る正、その一字を得るでしょう... 私の当然な道理は違ったのを正すのです。" (18回)

大王大妃と向かい合って座ったフォンはこのように宣戦布告を飛ばした。 フォンは正、この一字を得るために自身の血縁までえぐり取る決断を下した。 幼い年齢に何も知らずに黒呪術席に単に出席だけした妹ミナ王女も例外ではなかった。 'クンヘ王女'が独裁権力でも、MB治下でも相変らず権力を享受する私たちの現実としては童話のような話なのかも分からない。

月は太陽を抱いたし、太陽は天下のために刃物を抱いた。 2012年の大韓民国ではどこの誰が国民のために、国家のために、そして塗る正を得るために刃物を抱くだろう。 同じ男が見ても真の魅力的なこの男、朝鮮八道にイフォンのような政治家がどこかにないだろうか?

[オーマイニュース 2012-03-16 18:30] 元記事はこちらから
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