いるぼん本室からダダモレした萌えの集積救済所。キムナムギル、成均館、イジェフンネタ多し~。
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‘罪の意識ない幻想’の危険性
丘の上に古くなった廃屋があった。 村の男は酒場にだけ集まれば廃屋にからまった武勇談をならべた。 その家でこっそりとデートを楽しんだ、友人らと肝試しをした、ぞっとする殺人事件が起こった….

都会で帰郷した青年がこれを聞いて‘それが本当に事実だろうか’と考えた。 疑問を解くために彼は深い夜その禁断の領域に足を踏み入れた。 青年がそこで発見したことは無であった。 男らの多くの武勇談を証明するどんな跡も探せないためだ。

禁止された探険を終えた青年は酒場に帰ってほら吹き男らに本当の武勇談を聞かせる。 これを聞いた男らの目つきが変わる。 “本当にその家に入った?” “ところで何もなかった?”結局青年を酒場の外に引張って行った村の男の中の一人が青年を殺す。

映画‘太陽がいっぱい’の原作者で有名なパトリシア・ハイスミスの短編小説‘黒い家’の内容だ。 いったい青年はどのような過ちを犯したのか。 廃屋の実体を暴露したのが命を差し出さなければならない程大きい罪であろうか。

スラヴォイ・ジジェクは答える。 青年は村の男らの内密な幻想空間に侵入する罪を犯したと。 村の男らに廃屋は過去に果たせなかった夢と現実では満たされることのできない欲望を投射して実現するための一種の幻想スクリーンだ。 青年は、その爽快な解放空間をぼろぼろ現実空間に変える罪を犯したのだ。

興味深い点は小説で黒い家に向かって幻想を投射する存在は男たちばかりだという点だ。 女たちは黒い家に対する男たち幻想の動作を中断させる妨害屋やその幻想に対する接近が禁止された異邦人で描写される。 女たちにも自分たちの隠密な夢と幻想を投射する幻想スクリーンが存在する。 ただしそれは‘白い家’で呼ばなければならない程男性的な‘黒い家’と対照的方式で動作する。

最初に、黒い家が暗くて陰湿ならば白い家は明るくて明るい。 黒い家は夜のベールが必要だが白い家は眩しい日差しの下でより多くの光を放つ。 太陽の光を受ければ黒い灰になってしまう男性吸血鬼ドラキュラと太陽の光を受けるとダイヤモンドのように輝く"トワイライト"シリーズの女性的なヴァンパイアを比較してみなさい。

二番目、黒い家は何らかの形で現実的存在根拠(リアリティー)を要求するが白い家は現実と遊離した純粋な幻想の産物であっても構わない。 同じドラマでも男たちが熱狂する‘根深い木’は世宗という実存人物が必要だが女たちが熱狂する‘太陽を抱いた月’はすべての登場人物が仮想の存在という点を記憶してみなさい。

三番目、黒い家は女たちの前では隠蔽される常だが白い家はあえて男たちに隠す必要がない。 羨望する俳優の姿を男性は異性こっそり覗き見するものだが、女性は異性の視線を大きく意識せずに落ちていく理由だ。

一見すると白い家の幻想が黒い家の幻想より元気に見える。 男性は幻想を余剰の喜びで受け入れる反面女性は欠乏の補償に受け入れる傾向が強い。 だからだろうか、幻想に耽溺する時女性は男性より罪の意識をあまり感じないことになる。

トラップはそこに隠れている。 ‘罪の意識のない幻想’は現実逃避で帰結されやすい。 白い家の幻想に心酔した人は映画‘マトリックス’の中の‘青い薬’(寂しい実在)でなく‘真っ赤な薬’(甘い幻想)を選択しやすいということだ。 “厳しい現実を少し忘れようとドラマを見るのにリアリティが何がそんなに重要なのか”という女性たちの抗弁が危険な理由だ。

クォン・ジェヒョン文化部次長

[東亜ドットコム 2012-02-28 03:00:00] 元記事はこちらから

※腐女子がイキイキしてる理由がわかった!(爆)というかわたしは白い家のひきこもり。。。

現実逃避大いに結構ということで今日一番のお気に入り記事からスタート!(笑)
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