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美人明らかにした朝鮮王たちの'屈辱'
[史劇で歴史読み取り] MBCドラマ<太陽を抱いた月>、7回目の話

'王になれば美しい女たちと付き合いやすかったこと'と考えるこれらが多い。 昔王たちがこういう話を聞けば"とんでもない!"として手で遮るだろう。 例外があるが、原則上不可能なことだったためだ。

MBCドラマ<太陽を抱いた月>のイフォン王(キム・スヒョン扮)は死んだ世子嬪に似たヨヌ(ハン・ガイン扮)をとても近づけたがる。 だが、イフォンの希望は数多くの障害物によって遮断されている。 彼の希望は自身の王権を威嚇するだけでなくややもするとヨヌの生命までも危険にすることができる。

イフォンの希望が成り立つのが難しいのは、ヨヌが巫女であるためだけではない。 ヨヌが巫女でない女官だとしても、この希望は成り立つのが難しい。 大王大妃と中殿と母方の親戚勢力が見過ごすわけがないためだ。

イフォンの境遇は昔の王たちの事情をよく反映している。 彼らも冒険を覚悟しなくては、関心がある女性を近づけることができなかったためだ。 '王になれば美しい女たちと付き合いやすかったこと'という観念よりは'大学生になれば素敵な異性と付き合いやすいこと'という観念がいっそ現実的だろう。

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王の'ベッドシーン'はただ後継者生産のために

'王は本人が願えば美しい女性を妾とすることができなかったのか?'と考えることもできる。 朝鮮時代27人の王が平均3.7人の後宮を置いたことは事実だ。 だが、これは楽しみを享受するためにでなくあくまでも後継者を生産するためであった。

若干例外があるが、妾の選択は原則的に王室女性たちによって成り立った。 王本人が女を選ぶということは原則上想像もできないことだった。 また、大后や中殿のような王室女性たちが後宮を選定したので、男目に美しい女性が後宮に選ばれる可能性は殆どなかった。 後宮の一次的選定基準は'子供をたくさん産めるか'であった。

王の'ベッドシーン'も徹底した事前企画の中に公開的に進行された。 8人の女官が四方を囲んだ中で行われたのだ。 そのために、王が肉体的快楽を耽溺するのは事実上不可能だった。 ベッドシーンをとる俳優が快感に陥ってはいけないのと同じだ。 王は中殿や後宮らとの関係の中で男の幸福を感じることが大変だったのだ。

それなら、女官らとの関係の中でそのような満足を充足することもできなかったのだろうか? それもやはり不可能だった。 王が美しい女官によそ見をできないように王室と宮中と調整が集中取り締まったためだ。

承政院(スンジョンウォン)(秘書室)の業務日誌の<承政院日記>に現れるように、王の動線は徹底して把握された。 そうするうちに、王が女官と2人だけの時間を設けるのは並大抵ではなくては想像もできないことだった。 芸能界トップスターが記者たちを締め出して仁川空港を抜け出るのが難しいのを連想すれば良いだろう。

いざという時には臣下らの'乱暴する'発言が...

その上儒教的素養を整えた臣下は毎日2~3回ずつ競演席で王の耳に'孔子いわく','孟子いわく'を注入した。 この時、最も強調されたのが"君子は単独である時を慎んでこそ(慎)とする"(君子必慎其独也)は一節だった。 <大学>に出てくる慎独思想だ。

臣下は王が寝室に一人でいる時も慎独を遵守することを要求した。 人が見ない所でも常に腰を伸ばして真っすぐ座って自分の修養をしろと注文したのだ。 一例で、中宗12年8月8日付(1517年8年24日) <中宗実録>には、チョ・グァンジョが競演席で中宗に姿勢をしっかりされろと訓戒する場面が出てくる。

チョ・グァンジョは"ひょっとしてこの頃一人でおられる時心勉強を怠ってこうしたのではないですか?"として促すことさえした。 寝室で別の考えるのにならないかとの指摘だった。 '乱暴する'という感じを与える発言だった。 この程度で、周辺の人々は王がもしも国家経営以外の違うものに心を取られるとみて常に警戒して牽制した。

2003年3月9日、ノ・ムヒョン当時大統領はテレビで生中継される中で平検事らと'乱暴する'対話をした。 平検事らの発言態度は、内容の当不当を離れて、誰か見ても'乱暴する'ことだった。 <ノ・ムヒョン、最後のインタビュー>第2章によれば、'検察と緊張関係を作った理由が何か?'という趣旨の質問に対してノ・ムヒョンは"それは決心して始めたことでしょう"と答えた。

王たちは常にノ・ムヒョンのように決心する心情で生きなければならなかった。 公開席上で王はぞんざいな言葉をして臣下は尊敬語をしたが、焦る側は臣下らでなく王だった。 臣下が一日にも何度も謙虚な尊敬語で乱暴する発言らを行ったためだ。 そのような話を聞かないで生きようとするなら、異性に対する関心を抑制して国政に専念するしかなかった。

王のそばには'美しいこともない'女官だけが

周辺の人々は王が女に精神を注げないように'事前防止活動'だけ行ったことでなかった。 徹底したマークにもかかわらず'事故'が発生する場合には'事後鎮圧活動'にも総力を傾けた。 こういう事後鎮圧のために体面を台なしにした王たちの事例が実録に記録されている。

一例で、第11代王の中宗は美貌の後宮のホン・ヒビン(ヒビン ホン氏)を特別に近づけて調整の牽制を受けた。 中宗13年3月12日(1518年4月21日)朝、彼は競演に出て行って司憲府本当に4中官僚から'女色に陥る者は低劣な王'という指摘を受けた。 早朝取りつきから'平検事'から'女に気を付けなさい'という卑劣な言葉を聞いたのだ。

第19代粛宗は美貌の女官のチャン・オクチョン(後日のチャン・ヒビン)を後宮としようとしたが'美人を警戒しなさい'という上訴を受けた。 粛宗12年12月14日(1687年1月27日)のことだ。 粛宗がついに自分の意志を貫徹させたのだが、これは彼が比較的強力な君主だったので可能なことだった。

王が警告を無視して気に入る女官を近づける場合、ややもすると女官の身辺まで危険になることもできた。 粛宗が女官時期のチェ・スクビン(スクビン チェ氏、英祖のお母さん)を近づけるとすぐに中殿のチャン・ヒビンがチェ・スクビンを殺そうとしたが失敗した事件が利益定義<水門録>に記録されている。

また、キム・ヨンスクの<朝鮮朝宮中風俗研究>に収録された旧韓末女官らの証言によれば、第26代高宗王の時は王の関心を引く女官が誰も知らないうちにこっそり消える事件が多かったという。 中殿明成皇后(閔妃)と後宮オム貴人の諜報網がそれほどこまかかったのだ。 <太陽を抱いた月>の、ポギョン王侯(キム・ミンソ扮)がイフォンとヨヌの関係を牽制すること以上で実際状況は殺伐だったのだ。

この程度だったために、王が顔平坦な女官を自分のそばに置くことができる確率は極めて低かった。 チョン・ジヨンの<郷愁>に出てくる'何ともなくて美しいこともない'女官だけが王のそばで長らく'競争力'を維持することができた。

恋愛もシステムのとおり... 王はかわいそうな男

もちろんかと言って王が美貌の女性を近づけることが100%不可能だったという話は決してない。 燕山君(ヨンサングン)・中宗・粛宗のように周辺の牽制を突き抜けて美貌の女性たちを近づけた王たちがいた。 だが、それはいくつかの王たちに限定された例外に過ぎなかった。

人々が飛行機事故を心配するのは、飛行機事故が自動車・船舶事故に比べてさらに頻繁に発生するためでない。 事実、飛行機事故の発生頻度は相対的に低い方だ。 だが、事故が一度発生すれば全世界的に騒々しく報道されて見たら、飛行機が実際以上で危険に感じられることだ。

同じだ。 王と美しい女性の交際は実現の可能性がだいぶ低かった。 だが、こうしたことが発生しさえすれば、周辺の人々が牽制に出て実録にまで記録されて全国でうわさが広がった。 王になれば美しい女たちと付き合いやすいと思った感じはそれでできることだ。

事実、朝鮮時代王たちのようにかわいそうな男たちもなかっただろう。 宮廷に閉じ込められて一日中政務とセミナーに苦しめられることはもちろんで、異性関係さえも決まったシステムのとおりしなければならなくて、気に入る異性に注目一度まともにくれなかったという話だ。 男としての幸福を享受しようとするならそのまま平凡に生きるのが最善策であったのだろう。

[オーマイニュース 2012-02-24 11:01] 元記事はこちらから

※美しい巫女を臣下の前であからさまに寵愛できるのも仮想ということで~。

昨日途中まで翻訳加工して寝ちゃったネタ・・・
オーマイニュースの歴史読み取り、他にもネタがあるようですが追々チェック~。
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