いるぼん本室からダダモレした萌えの集積救済所。キムナムギル、成均館、イジェフンネタ多し~。
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

別窓 | スポンサー広告 | top↑
"原作でイフォンはホ・ヨヌの顔を分からない"
'太陽を抱いた月'の原作小説 vs ドラマ

MBC水木ドラマ'太陽を抱いた月'が放送8回ぶりに視聴率30%を越えてテレビ劇場に突風を起こすということによって原作小説に対する関心も一緒に大きくなる。

ドラマ人気に力づけられてチョンウングォルの原作小説は2週目(13-19日、20-26日)ベストセラー1位を守ってドラマと原作小説比較風を起こしている。

'年を抱いた月'の原作小説とドラマの差異点を比較してみた。

ss20120129-9.jpg ss20120129-11.jpg ss20120129-12.jpg


◇イフォンはホ・ヨヌの顔を分からない=

最も重要な差異点は王イフォン(キム・スヒョン扮)が情人のホ・ヨヌ(ハン・ガイン)の顔を分からないという点だ。

ドラマではイフォンが皇太子時期宮で偶然にホヌに会って、また、彼が世子嬪に選別された後には並んで座って即席公演を観覧するエピソードまで書き込んで王とホ・ヨヌがお互いの姿を鮮やかに知っていることに設定した。

だが、原作小説ではイフォンとホ・ヨヌは一度も会ったことがなくて、ひたすら書札でだけ心をやりとりする。

それでイフォンは巫女になったホ・ヨヌと向き合って座ってもその正体を知って疑うまではそれから長い間の時間がかかる。 ただしイフォンは書札を通じて感じたホ・ヨヌの知性美ときれいな性格、知恵の体臭を偶然に会った巫女からも感じ始めながら混乱に陥る。

反面ドラマではイフォンがホ・ヨヌの顔を記憶するので巫女になって自分の前に現れたホ・ヨヌを見て初めから疑いに陥る。

また、小説ではホ・ヨヌが名前をつけてくれるというイフォンの意をどうしても拒否して退くが、ドラマではイフォンが'月'という名前を下賜するとすぐに喜ばしい気持ちで受ける。

◇ホ・ヨヌは記憶喪失症にかからなかった=

ドラマではホ・ヨヌが過去飲んだ薬の後遺症と死に対するトラウマで記憶喪失症にかかったことで描かれる。

このためにホ・ヨヌは幼い時期に会ったイフォンはもちろん陽明君(チョン・イル)と向き合っても相手が誰なのか全く知らない。

ただし彼女の頭の中には時々過去の彫刻が浮び上がるが、自身が神の降りた巫女になったと信じるホ・ヨヌはそれが巫女の予知力だと勘違いする。

しかし原作小説ではホ・ヨヌが自ら1人2役をする。

ホ・ヨヌは世子嬪に選別された直後政界の犠牲の羊になって死に追い込まれるが劇的に回復する。 ホ・ヨヌが死んだように偽装して死体を引き出した後また息が帰ってきたホ・ヨヌを墓を暴いて取り出すことまでは小説とドラマが同じだ。 大王大妃の社主でこれらすべてのことを行った聖水庁国務が最後の良心でホ・ヨヌを生かしたのも同じだ。

しかし以後ホ・ヨヌが記憶喪失症にかかったことで設定したドラマとは違い原作ではホ・ヨヌが自身と家族をどん底に追い出した犯人とその理由を自ら知るために動く。 このために彼は巫女の振舞いをしながら足止めをくった自身の代わりに手足のユンスンを通じてひそかに調査をしていく。

小説の中ホ・ヨヌは夢に描いたイフォンの人間お守りに入って王のそばを守ることになったが生き残った者らにまた他の悲しみが押し寄せるか恐ろしくて王に自分の身分を明らかにしない。

ドラマではホ・ヨヌが観象監らに拉致されて宮廷に入ってきてうっかり額受け巫女となる。 だが、記憶がない中でもホ・ヨヌはイフォンの前で訳の分からない切ない感情に包まれることになる。

◇陽明君と中殿の比重大きくなって=

ドラマでは陽明君と中殿(キム・ミンソ)の比重が原作小説より大きくなった。 また、聖水庁国務のキャラクターも原作と差がある。

王権を強硬にしようと生まれつき'醜いアヒルの子'扱いを受けなければならなかった王の腹違いの兄陽明君のキャラクターはドラマでもう少しはつらつと描かれると同時にその比重も多くなった。 彼が巫女ホ・ヨヌと絡むエピソードが多くなったこと。

しかし小説では陽明君が終わりの部分に達してホ・ヨヌが巫女になって宮廷に住むという事実を知ることになる。

小説と比較すると最も比重が大きくなった人物が中殿だ。 小説では存在感が微弱な中殿はドラマでホ・ヨヌと対立点をたてる人物に描かれる。 権力欲があって偽善的でありとうとうたるキャラクターで描写されるのに小説ではある日突然中殿になったが宮廷で王から徹底して無視されながら深刻な孤独だということとストレスに苦しめられる弱気な女性に描かれる。

聖水庁国務チャン氏は原作では死ぬ日が残り少ない老獪で鋭い人物に出てくる。 世子嬪暗殺謀役にも聖水庁の利権のために積極的に加担した。

しかしドラマではチョン・ミソンが引き受けてはるかに人間的で暖かいキャラクターで登場する。

◇抽象的イメージ、具体的なエピソードで再誕生=

これと共に原作が相当部分抽象的なイメージと感情の交感に寄り添うならばドラマはこれを具体的なエピソードで再加工して大衆的商品性を高めた。

小説は人物らの感情の流れに集中したしこの過程で過去の経典と詩を積極的に活用した。

反面ドラマは王と陽明君、ホ・ヨヌの行動半径を広げてエピソードをたくさん追加してより一層躍動感を吹き込んだ。

製作会社パン・エンターテインメントのムン・ジョンス代表は"原作小説が哲学的な側面が強くて初めにはドラマでどのように作るか心配したが脚色がうまくいった"として"小説とドラマの妙味を全部よく生かすことになったようだ"と話した。

[聯合ニュース 2012-01-29 07:15] 元記事はこちらから

ss20120129-13.jpg ss20120129-14.jpg ss20120129-15.jpg

※ドラマも原作も先が気になってたまらない(>_<)
別窓 | [太陽抱月]原作 | コメント:0 | top↑
<<'太陽抱月'ヨ・チング'霧吹き'の中の切ない演技'ぴったりかかったよ' | いるぼん別館☆韓国ドラマ「太陽を抱く月」トキメキ資料室 | MBC労組ゼネスト決議、‘太陽抱月’どうするか>>
この記事のコメント
top↑
コメントの投稿
 

管理者だけに閲覧
 

| いるぼん別館☆韓国ドラマ「太陽を抱く月」トキメキ資料室 |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。