いるぼん本室からダダモレした萌えの集積救済所。キムナムギル、成均館、イジェフンネタ多し~。
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[インタビュー①]イハン監督が語る‘ワンドゥギ’
“違うように見ない視線が必要だ”

映画‘恋愛小説’と‘青春漫画’ ‘私の愛’で韓国メロ映画の一線を描いたイハン監督が今回は‘ワンドゥギ’に帰ってきた。 4年ぶりにまた観客前に立つことになった彼は自身がそのように好むという男女間の奥ゆかしい視線を後にしたまま差し出がましい‘ドンジュ’と中深い反抗児‘トワンドゥギ’の愉快な出会いを描き出した。

のどかな天気が良い三清洞で会ったイハン監督はかなり堂々とした風采にもかかわらず、ずっとインタビューを照れくさいといった。 ぎこちなくなることもできる、インタビューをどのように解いていくべきか悩んで2002年‘恋愛小説’封切り当時酒の席でしばらく会った縁を話するとすぐにその時初めてイハン監督は笑いを見せて話をさらさら解いていった。

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2007年‘私の愛’以後4年ぶりに帰ってきた。 どのように過ごしたか?

休む間シナリオを3編を書いた。 書いたものみな気に入らなかったよ。 私は他の人がシナリオをどのように見てくれるかもとても重要な要素だ。 ところでそのシナリオは人々を説得できなかった。 そのような中に‘ワンドゥギ’という作品が入ってきたしこれは良い。 これは今行ってもかまわないようだという感じがきた。

‘ワンドゥギ’という作品を初めて接した時どうだったか?

まず読む時とてもおもしろかった。 そしてみな読んだ後で平凡でない、私たちの社会にありながらも扱わなかった、避けたかった人物らを平等で暖かく眺めること? 後ほど考えてみると‘こういう視線が私を登場人物らを拒否感なしで感じるようにしたんだな’という気がした。 そのようなもの良かった。 もちろん全く同じではないけれど相対的に関心をあまり受けないで恩恵をあまり受けない人々に対する話をしてみたかった。

その間メロを主にしてきたのを考えれば、今回の‘ワンドゥギ’という性格が少し違う。 メロでないジャンルに対する欲があったか?

映画をしながら周囲で指摘をするのが‘とても良い側だけ眺めるのではないのか’ということと‘とても屈曲がないことを使うのではないのか’であった。 ‘ワンドゥギ’という作品もそのような脈絡では大きく異ならない。 それで屈曲が多いジャンル的なシナリオを使おうと努力をした。 だが、合わない服を着ているという感じがしたよ。 好まないから自然に拒否感も持って、そうするうちに完成をできなかったよ。 一度はメロと恐怖を結合させてみるか考えたが本当に悪夢と不快さに苦しめられた。 シノプシスが上手く行く方だと誰がこのアイテムを売れといったがまだ売ることはなかった。

いつか映画化されることができるという言葉なのか?

それはしたくない。(笑い)

‘ワンドゥギ’が社会的問題点らに対して消極的に避けるという感じを受けた。

避けたのではなくて触るつもりがなかった。 それが私が望んだことだったとすれば正面対決をしただろう。 問題点を触るというよりは私たちのそばで生きていく人々の喜怒哀楽を見せてあげたかった。 社会的に疎外されるものなどを浮び上がるのはドキュメンタリーのようなジャンルで扱われなければなければならないと考える。 問題点を提起するのも重要だが生きていく人生に焦点を合わせなければなければならないと考える。 ‘ワンドゥギ’という作品も同時代を生きていく人々を同じ目の高さで見ている。 そのようなもの良かった。

‘ワンドゥギ’の素材になった欠損家庭と、多文化家庭、外国人労働者問題に対して関心があったか?

社会的に関心があまり行かない方々に対する関心はあった。 その中でわずかな喜怒哀楽を描いた映画を作りたいと考えた。 前で話した3編のシナリオ中ワンドゥギと感じが似た作品もある。 今回も多文化家庭や外国人がこれ以上特別な人々ではないということをいいたかった。 特別に見る視線を作るならばそれこそ差別だと考える。 その人々も私たちと同じようにご飯を食べて子供を育てて恋人と愛する。 体験してみれば同じ人だ。

本人が考える解決策があるか?

やさしくはないけれど違うように眺めるまいと努力すること、それが重要だと考える。 もちろんこういう視線が努力だけで解決されるのではないがこの努力が反復されればいつかは解決になることだと信じる。 最近同性愛者に対する視線が変わって行くということによって少しは自然になったと考える。 これと同じように多文化家庭に対する視線も十分に変わることができると考える。 ‘ワンドゥギ’がこのような努力の小さい役割でもするならば監督として良いようだ。

最近社会的問題を扱った映画が話題になった。 そのことに照らしてみる時‘ワンドゥギ’の強力な点は何だと考えるか?

特別だが特別に眺めない視線と心? あの人は哀れで疎外された、こうしたのでなく私たちのそばにある構成員の一部分で自然に見せるということが長所だと考える。 そして愉快に解きほぐしたのと笑い、わずかな感動? 大衆映画として強力な点が多いと考える。 ところで私の口でこういう話をしようとすれば恥ずかしい。(笑い)

次の作品はメロになるだろうか?

‘ワンドゥギ’をとっている時は本当にメロをしたかった。 私は男女が互いに眺めるのがとても好きだ。 とても純粋に見えて、見ること自体だけで良い。 それでメロをしたくてシノプシスを書いておいた。 ところで今見ると愛だけ持って話をするのが私に合うだろうか? こういう考えになった。 まだ分からない。

もう‘ワンドゥギ’が封切りした。 予備観客らに一言言おうとするなら?

私はインターネットをほとんどしない方なのに理由が、映画を見る前にどんな文を見ることになれば変に気を遣うことになる。 それを押し倒すことが映画が持った力であることは一ケ所ややもすると片側に偏ることもできる。 どんな記者の方がどんなものを注意してみろといえば思わずその方向について行っている。 どうである方この映画の完成度が低いといえばさらにおもしろく見られることにもかかわらず、先入観を持つようになる。 そんなことは明確に良い点もあるが良くない点もあると考える。 それで舞台挨拶をする時は常に安らかに見てくれと言う。 ‘ワンドゥギ’を見る方々も安らかに見たら良いだろう。 おもしろい方は笑って、良くない方々はののしって、それが私のスタイルであるようだ。

‘ワンドゥギ’という小説が持つ長所中に一つがむだな力を集中しないことだ。 難しい文体を使うことができる部分、格好つけることができる部分でもそうではない。 全てキャラクターと話にだけ集中した良い文だと考える。 誰かは文学的な価値が落ちないのかと反問するが相対的だと考える。 国語辞典をまるごと覚えることよりは1人の人を全て理解しようと努力して愛情を持っていること、こうしたのが立派だと考える。

[スターニュース 2011-10-26 12:03] 元記事はこちらから
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